コーチングとの出会いについて語る前に、まず私の約25年の歴史を振り返る必要があります。
体の痛みと闘う20代
私は漫画や映画などのエンターテインメントの世界に進みたいと考え、日大芸術学部映画学科映像コースに進学しました。しかし、大学4年の春、坐骨と背中に痛みが走るようになり、長時間のデスクワークができなくなってしまいました。なんとか卒業にはこぎつけましたが、卒業後は週4日ホステス業をしながら、日中は整体やスポーツクラブに通う療養生活となりました。
私の生活の中心は「治療」となり、「健康が手に入らねば何もかも始まらない」と、治療費を確保しプライベートも治療に時間を注ぎました。「お金がなくて治らないなんて絶対に嫌だ! 必ず治療費を調達する!」と心に誓い、治療に全力を注ぎました。
この20代の時期、大学の同級生たちはシナリオライター、映像業界、アニメ業界などに進み、夢いっぱいの日芸卒業生でしたが、私は全く違うジャンルかつ、性格的に絶対無理と言われたホステス業で生計を立てていました。それでも、「必ず体を治して、彼らに追いつき、追い越してみせる!」と決意していました。
そのため、整体や噛み合わせ治療など、全額自己負担の治療に年間50万〜100万円を費やしていきました。その結果、痛みは多少和らいだものの、毎日デスクワークしても悪化し続けない状態にまでは到達せず、冷え性の悪化や体力低下など別の症状の悪化もありました。
人生第二の危機、目がやられる!
そうこうするうちに、33歳で今度は目を患い、ホステス業さえも引退を余儀なくされました。
光や動く光への過敏性が強くなり、とても店内で目を明けていられず、文字読みも困難になってしまったのです。
最初は極度の眼精疲労だと思っていましたが、2年後には眼瞼痙攣(局所ジストニア)と診断されました。そこで、ボトックスという筋肉を弛緩させる治療を受けましたが、症状はさらに悪化し、あっという間に白杖必須になってしまったのです。また、パソコンは画面読み上げ機能を使うようになりました。
視覚障害の世界では、白杖を使い始めるのは2級あたりから、パソコンの画面読み上げ機能を使い始めるのは1級からというパターンが多いです。
しかし、私の目の障害「光過敏」では障害者手帳が取得できず、障害年金も2級以上が望めないことが判明しました。明らかに仕事もできず、日常生活も困難なのに、国から何の支援も得られないことに愕然としました。
療養生活から制度の谷間障害者救済運動へ
先述したように私は20代の頃、「体が治ったら漫画家を目指そう」と思っていましたが、いつまでも治らず、前に進ことができなかったため、「先が見えないときは二兎を追え」と思うようになっていました。
これにより、治療を続け治癒を夢みながらも、治らないことも前提に2015年から障害年金2級以上を求めて国に提訴しました。これが私の障害者運動の始まりでした。この裁判は自分一人のためというよりも多くの同病の仲間たちを救う目的が大きかったのです。
2017年からは、「眼球使用困難症」の障害者手帳獲得を目指した患者会活動を始めました。これは、メキシコ人医師による高額な脳神経細胞成長因子の治療を受けて、目の症状が初めて改善に向かい始めた矢先のことでした。治療効果を最大限にするためには目を酷使したくなかったのですが、この年に患者会活動に力を入れざるを得なかったのは、20年ぶりに視覚障害者手帳基準の見直し検討会が厚労省で始まったからです。
苫米地英人博士との出会い
ちょうど同時期、Kindle本の VoiceOver(Appleデバイス標準搭載の画面読み上げ機能)対応が始まったきっかけで後にコーチングの師匠となる苫米地英人博士の書籍と出会いました。
それまでは読書の基本は点字図書館の本を音声で読むことがメインで、紙の書籍を購入する場合もボランティアにテキストデータに変換してもらい、パソコンやスマホの画面読み上げ機能で読んでたところ、上述のように2017年からKindleの電子書籍がVoiceOverに対応するようになったことで大量の本が読めるようになったのです!
その時はもう嬉しくて嬉しくて、早速Kindleアンリミティッドを契約し、読み始めた本の中に苫米地英人博士の本があったのです。
苫米地さんのファンの方ならご存知かと思いますが、博士は大量の書籍をKindleアンリミテッドで公開してくれています。
最初に読んだのは「仮想通貨とフィンテック」です。
この書籍から、ブロックチェーンを開発した人で以前ジャストシステムにいたこと、オウム信者の脱洗脳を行なった人と言うことがわかりました。
次に読んだのが「TPPで日本支配をたくらむ者たちの正体」です。
正直、「え?この人は理系の人ではないの?なのにこんな文系の本書いてるんだ?」と思い、著者の名前を再確認したのを覚えています。
それから種子法廃止の問題、電通の闇など、主に社会問題から入っていきました。
また、気に入ったのはディベートの本です。
苫米地博士は、アメリカで本場の競技ディベートを学び、日本にそれを普及した人でもありますが、本場のディベートとはスピーチコンテストでもなければ情に訴えるものではない。
ひたすら客観的事実を提示した上で論拠と主張を展開するもの。
それを反論意見からも行い、より「確からしさ」を競う競技であるというのが印象に残りました。
私は長年理性や論理よりも感情優勢の人間にほとほと呆れ返ってきたため、この「本場ディベート」に 深く感銘を受けました。
そして、そうこうするうちに「気功」の本にもたどり着きました。
そこでまたさらに衝撃が襲いました。苫米地博士は凄腕の気功師で、若い頃数々の難病者を治療していたのです。
おまけにある本には
「この物理世界は足の裏のようなもの」「物理世界に情報が付随するのではなく、情報場の最も抽象度の低いところが物理世界」
といった記載があったのです。
「堅い本を書いてきた科学者なのに、こんな不思議なことを言うんだ???」
と、その時は思いました。
さて、あまりにも多岐に渡るジャンルの書籍からすっかり苫米地博士のファンになっていましたが、コーチングの普及に最も力を入れていると知ったのは実は随分あとです。
コーチング本は「成功」を謳うタイトルが多いので、自分のように視覚障害で体調不良も伴っている難病者には縁遠い世界と思い、手をつけなかったというのがあると思います。
しかし、このコーチングこそが私の長年の問題、病気治癒の助けになるかもしれないと次第に思うようになりました。
そこで、2019年以降は苫米地博士の書籍に書かれてあった気功の呼吸やセルフコーチングの手法「アファメーション」を、ゆるく取り入れ始めました。
このアファメーションとは、既にゴールを叶えている状態を唱えるというものです。
ちょうど先述した脳神経細胞成長因子に加え、マクロファージ活性化物質でも症状が緩和されてきたこともあり、道を歩きながら既に「私は治って漫画を描いている」と心の中で唱えながら少しずつ景色を見て楽しく散歩したのを覚えています。
障害年金裁判終了…そしてコロナ騒動へ
2020年の冬、5年にわたる障害年金裁判が最高裁不受理で終了しました。一方で、障害者手帳に関しては厚労省が眼球使用困難症患者の実態調査を始めていたため、患者会活動は一区切りを迎えましたが、新型コロナウイルスの騒動が始まっていました。
最初は面倒なことが起きたと思いましたが、春には虚偽を交えた偏向報道であることが分かり、武田邦彦氏のYouTubeでの発言等から厚労省の感染者数・死亡者数データを確認することで、コロナ騒動が過剰であることを理解しました。
そこで、薬害問題に詳しい立場として、私はFacebookやTwitterでこれまでやってきた向精神薬害啓発のみならず薬害全般の啓発活動に力を入れ始めました。 と言うのも、過去の薬害同様、安全性の定かでないワクチンのゴリ押しが始まりかねないと予測したためです。
何故そう予測したのか?
実は眼球使用困難症は向精神薬(特に眠剤・抗不安薬)やレーシックによる被害者が多く、大勢の被害者から話を聞いていたほか、私自身も複数の副作用でかなり痛い経験をし、ボトックスという治療薬による悪化で医薬品副作用救済制度にも申請した経験があったのです(こちらも後に棄却)。
加えて、薬害関連の書籍も複数読んでいましたし、向精神薬薬害陳情やHPVワクチン被害シンポジウムにも参加していたため、世間ではあまり知られていない製薬・医療業界の裏には詳しくなっていたのです。
中でもHPVワクチン被害者へのワクチン推進派からの攻撃は他の薬害よりも群を抜いてひどいものであったことをTwitterで目の当たりにしていました。
反ワク啓発活動
2021年、いよいよ大々的にコロナワクチン接種が始まり、案の定、厚労省に続々と被害報告が上がり始めたため、すでに上がっていたその危険性を本格的に啓発し始めました。
視覚障害の仲間たちと親しくなったばかりで、その活動が患者会活動にマイナスに働くかもしれないと懸念しましたが、命に関わる重要情報を提供するために躊躇するべきではないと考え、厚労省に報告された被害報告やファイザー発行の文書を基にした啓発を行いました。
しかし、その啓発もほとんど受け入れられることはなく、私のSNSタイムラインは次々と「打ちました」報告で埋め尽くされていきました。
また、ジストニアの患者会や視覚障害の仲間たちからも反発が生じましたが、今までの活動実績や理性的な人物という評価があったため(と、私は推測する)、世間の反ワク活動家ほどにはひどい反発はなかったと感じます。
また、コロナ騒動において問題だったのはコロナワクチンによる健康被害だけではありません。
ワクチン非接種者やノーマスク者への社会的弾圧も強まった事は誰もが認めることでしょう。
その裏には世界的全体主義化による超格差社会・超管理社会に向かう意図があったのです。
このような流れで土台となる「健常者を含めた社会全体」さえも危ない状況になってしまい、これまでのように自分の治療と患者会活動にのみ集中していられる状況ではなくなってしまいました。
苫米地式コーチングへの参加と新たな目標
そのような状況のなか、苫米地博士も初期からコロナワクチンの危険性を地上波TVで発言され、私もその動画を啓発に活用していました。
また、博士もこの社会の流れに危機感を強め、2021年冬に以前から公言されていた「世界から戦争と差別をなくす」ゴールのために3年間の期限つきコーチとしての協力者を募られたため、私はそれに応じて苫米地式コーチング準認定コーチ補の資格を取得しました。
そして、博士は2023年にはコーチングを伴う次世代リーダー育成に力を入れるようになり、私もその影響から3年間に限定せず、コーチングを続けたいと思うようになっていったのです。
そもそも、私は自分と仲間達の治癒に重きを置いていたため、最初は苫米地博士が開講している講座ではコーチングよりも気功ヒーリングに興味を持ち、その講習も受けて活用していましたが、社会の危機的的状況から本格的に自身もコーチとして社会を現状世界W1から外の理想世界W2へ導きたくなっていきました。
そのような経緯から、若い頃に掲げていた漫画家への思いは小さなものとなっていき、今は社会改革の手段の一つという位置付けとなっているほか、福祉の谷間問題も以前は眼球使用困難症の福祉獲得が叶ってから別の障害問題へと考えていたのが、今はまとめて埋めようと思い初めています。
この数年を振り返り…
以上の流れで、さらに学びを深めたく、今年2024年の春以降、コーチングの創始者ルー・タイスの講義も受け始め、 2024年8月27日にTICE認定コーチ(パフォーマンス・エンハンスメント・コーチ)となりました。
このようにコーチングに興味を持ち、自身もコーチとなっていったのには自身が難病・障害持ちであったこと、コロナ騒動から社会が激変していった事によります。
どちらかが欠けていても、私は本格的にコーチングを学ぼうとは思わなかったでしょう。
また、振り返ると、私が今までの人生で心底情熱を注いでやった活動は、眼球使用困難症の福祉獲得活動でした。 これも、自分がその立場に立てばこそのものです。
そこで、思い出すのが中学の頃に強く誓った言葉です。
「誰からも見向きもされないような弱者の味方でいたい!この社会を弱者の視点で見ていく!」と…
振り返れば、私はこの誓いを実現させたのではないかと思います。
そう思うと、今まで足かせ以外の何物ではないと、否定し続けてきた自身の病も弱者救済には必須だったのかもしれないとも思うのです。
しかし、世界が全体主義に向かい健常者も次々と命・健康奪われていっている今、健常者も含めた一般大衆も救わないと、さらに弱い人たちなどとても救えない社会情勢になってきたことは先述の通りです。
よって、守るべき対象範囲は同病者・同障害者から健常者を含めた一般庶民に広がりました。
そうこうしているうちに気がつけば目も随分と回復しています。
医学の進歩や情報量が増え、医師や治療家との出会いに恵まれたこともありますが、何より自分のマインドの変化により、治癒を妨げる要因を取り除けていったことが大きいと思います。
これが今までのように「何が何でも健康を手に入れてやる!」と、意気込み続けていたらまた新たな問題が生じてイタチごっこになっていたでしょう。
自分の無意識が困難な道を作っていたのですから。
随分年月がかかりましたが、コーチングに出会うことで数々の誤った世界観を修正することができました。
今後の人生は若い頃に描いた夢以上に、より「現状の外のゴール」へ向かおうと思います。
そして、共に現状の外へ飛び出し、理想世界W2を構築したい人をコーチングしていきたいと思います。
来れ!心の奥底から全身全霊をかけて、自分と今の世界を大きく変えたい方!